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	<title>三国志の話でもしようか</title>
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	<description>三国志についてならアドリブで2時間語れると豪語する玄鵬が、「話題にできる三国志のエピソード」を独自の見解を交えて紹介するブログ</description>
	<pubDate>Fri, 18 Sep 2009 12:24:17 +0000</pubDate>
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	<language>ja</language>
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		<title>危急存亡の秋</title>
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		<pubDate>Sat, 31 Jan 2009 17:18:06 +0000</pubDate>
		<dc:creator>玄鵬</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[故事成語]]></category>

		<category><![CDATA[劉禅]]></category>

		<category><![CDATA[諸葛亮]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://www.sanguozhi.biz/?p=266</guid>
		<description><![CDATA[生きるか死ぬか、存続するか滅亡するの分岐点、それが危急存亡の秋（とき）です。
「危急存亡の時」ではなく、秋なのはなぜか。
この言葉を使った諸葛亮の心情も感じ取りながら、このエピソードを見てみましょう。


章武五年(227年）、諸葛亮は魏への大規模な軍事行動、すなわち北伐を開始した。
これに先立って、諸葛亮は蜀漢の皇帝である劉禅に上表し、その決意と自身の留守中の注意を述べた。
師（いくさ）を出すにあたり出した表、出師之表である。

先帝創業未半而中道崩殂
今天下三分益州疲弊
此誠危急存亡之秋也
これは、出師之表の冒頭部分の引用。
諸葛亮は、先帝の遺業を継ぎ、魏と戦いぬくというう悲壮なまでの決意を示した。
蜀の地は豊かであるとは言え、劉備の入植時に移ってきた兵卒や戦乱を避けて流入した難民が多く、それらを賄うには厳しい状況であったと考えられる。また、敵国・魏に比べると国力の差は歴然としていた。そのために、蜀漢が生き残るために、積極的に打って出て事態を打開させようという算段であったのだろう。
春から夏にかけて、農民は穀物を実らせ、兵卒は訓練を重ねてきたのであろう。そして、季節は移り、収穫を終えて、軍備も万端整ってきた。
いざ存亡を賭けた戦いへ赴くとき、それこそまさに秋なのである。
結果として北伐が成就することはなかったが、諸葛亮はこのときの上表で示したとおり、死ぬまで戦い通した。

出師之表は後世、名文として名高く、人々の涙を誘うものと言われています。
その冒頭を飾った「秋」という字が、
諸葛亮の悲壮な思いを、そして蜀漢の末路を暗示する物悲しさを醸し出していますね。

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]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>生きるか死ぬか、存続するか滅亡するの分岐点、それが危急存亡の秋（とき）です。</p>
<p>「危急存亡の時」ではなく、秋なのはなぜか。<br />
この言葉を使った諸葛亮の心情も感じ取りながら、このエピソードを見てみましょう。</p>
<p><span id="more-266"></span></p>
<hr />
<p>章武五年(227年）、諸葛亮は魏への大規模な軍事行動、すなわち北伐を開始した。<br />
これに先立って、諸葛亮は蜀漢の皇帝である劉禅に上表し、その決意と自身の留守中の注意を述べた。<br />
師（いくさ）を出すにあたり出した表、出師之表である。</p>
<blockquote><p>
先帝創業未半而中道崩殂<br />
今天下三分益州疲弊<br />
此誠<strong>危急存亡之秋</strong>也</p></blockquote>
<p>これは、出師之表の冒頭部分の引用。<br />
諸葛亮は、先帝の遺業を継ぎ、魏と戦いぬくというう悲壮なまでの決意を示した。<br />
蜀の地は豊かであるとは言え、劉備の入植時に移ってきた兵卒や戦乱を避けて流入した難民が多く、それらを賄うには厳しい状況であったと考えられる。また、敵国・魏に比べると国力の差は歴然としていた。そのために、蜀漢が生き残るために、積極的に打って出て事態を打開させようという算段であったのだろう。</p>
<p>春から夏にかけて、農民は穀物を実らせ、兵卒は訓練を重ねてきたのであろう。そして、季節は移り、収穫を終えて、軍備も万端整ってきた。<br />
いざ存亡を賭けた戦いへ赴くとき、それこそまさに秋なのである。</p>
<p>結果として北伐が成就することはなかったが、諸葛亮はこのときの上表で示したとおり、死ぬまで戦い通した。</p>
<hr />
<p>出師之表は後世、名文として名高く、人々の涙を誘うものと言われています。<br />
その冒頭を飾った「秋」という字が、<br />
諸葛亮の悲壮な思いを、そして蜀漢の末路を暗示する物悲しさを醸し出していますね。</p>

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		<title>孟宗竹はこう生える</title>
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		<pubDate>Thu, 29 Jan 2009 13:12:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator>玄鵬</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[エピソード]]></category>

		<category><![CDATA[孟宗]]></category>

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		<description><![CDATA[竹林に住むのが私の唯一といっても良い望みでしょうか。
竹といえば、孟宗竹。今回は孟宗竹にまつわるファンタジックなお話です。


呉に孟宗（字は恭武）という人物がいた。
三公という高位に昇進した人物であるが、殊に母親への篤実な孝行者として有名だった。
ある冬の日、孟宗は筍好きの母のために筍狩りに出かけた。しかし、季節柄当然のことだが、筍は全く見当たらない。
これでは母を喜ばせてあげられない・・・
そう孟宗が嘆いていると、彼の孝心に感応したのか、なんと筍がにょきにょきと生えてきたではないか！
こうして孟宗は母に季節はずれの筍を食べさせることができた。
その竹（筍）こそ、今日の孟宗竹と呼ばれるものである。

儒教色の強さ差し引いても、和ませてくれる話ですね。私のお気に入りのエピソードの一つです。
彼はその社会的功績を云々するまでもなく、十二分に後世に名を残したわけですから大したものです。
ちなみに、母への愛が迸るあまりに、母の葬儀には職務をほったらかして駆けつけたという挿話も残っています。当然厳罰に処せられるべきところですが、彼のそれまでの勤勉な素行を斟酌して、そのまま官職を与えるという特別措置が取られました。

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			<content:encoded><![CDATA[<p>竹林に住むのが私の唯一といっても良い望みでしょうか。<br />
竹といえば、孟宗竹。今回は孟宗竹にまつわるファンタジックなお話です。</p>
<p><span id="more-249"></span></p>
<hr />
<p>呉に孟宗（字は恭武）という人物がいた。<br />
三公という高位に昇進した人物であるが、殊に母親への篤実な孝行者として有名だった。</p>
<p>ある冬の日、孟宗は筍好きの母のために筍狩りに出かけた。しかし、季節柄当然のことだが、筍は全く見当たらない。<br />
これでは母を喜ばせてあげられない・・・<br />
そう孟宗が嘆いていると、彼の孝心に感応したのか、なんと筍がにょきにょきと生えてきたではないか！</p>
<p>こうして孟宗は母に季節はずれの筍を食べさせることができた。<br />
その竹（筍）こそ、今日の孟宗竹と呼ばれるものである。</p>
<hr />
<p>儒教色の強さ差し引いても、和ませてくれる話ですね。私のお気に入りのエピソードの一つです。<br />
彼はその社会的功績を云々するまでもなく、十二分に後世に名を残したわけですから大したものです。</p>
<p>ちなみに、母への愛が迸るあまりに、母の葬儀には職務をほったらかして駆けつけたという挿話も残っています。当然厳罰に処せられるべきところですが、彼のそれまでの勤勉な素行を斟酌して、そのまま官職を与えるという特別措置が取られました。</p>

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		</item>
		<item>
		<title>敵同士の友情</title>
		<link>http://www.sanguozhi.biz/2009/01/enemy_frendship/</link>
		<comments>http://www.sanguozhi.biz/2009/01/enemy_frendship/#comments</comments>
		<pubDate>Tue, 27 Jan 2009 11:16:23 +0000</pubDate>
		<dc:creator>玄鵬</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[エピソード]]></category>

		<category><![CDATA[羊祜]]></category>

		<category><![CDATA[陸抗]]></category>

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		<description><![CDATA[スポーツとかでよくある、ガチンコで勝負して友情が芽生えた話じゃなくて、戦争で対峙しても友情を抱き続けた二人の男の話です。


晋の将軍・羊祜と呉の将軍・陸抗は、敵国同士でありながら深い親交があった。
晋呉両国が荊州で争ったとき、二人はそれぞれ出陣し戦場で矛を交えたこともある。友情を保つには、二人の間の環境は厳しいと言える。
それでも絶大な信頼関係を持ち続けたことが人々に知られている。
陸抗が羊祜に酒を贈ると、羊祜は有り難くそれを飲み干し、羊祜が病を得た陸抗に薬を贈ると、陸抗も感謝して服用した。どちらも親友からの贈り物を喜び、毒酒や毒薬である可能性を疑ったりはしなかった。

あまりに爽やかすぎるエピソードです。古代中国では、こういった友情の美談は、ままありますね。
本来なら将軍としての職務遂行を考えれば、迂闊な行動は避けるべきでしょうが、彼らにはどうでも良かったみたいですね。偉大な友情の前では、戦争なんてつまらない世間の雑事として、敢えてやってる感じさえします。
しかしこれ、もろにBLの素材ですよねw

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<p><span id="more-243"></span></p>
<hr />
<p>晋の将軍・羊祜と呉の将軍・陸抗は、敵国同士でありながら深い親交があった。<br />
晋呉両国が荊州で争ったとき、二人はそれぞれ出陣し戦場で矛を交えたこともある。友情を保つには、二人の間の環境は厳しいと言える。</p>
<p>それでも絶大な信頼関係を持ち続けたことが人々に知られている。<br />
陸抗が羊祜に酒を贈ると、羊祜は有り難くそれを飲み干し、羊祜が病を得た陸抗に薬を贈ると、陸抗も感謝して服用した。どちらも親友からの贈り物を喜び、毒酒や毒薬である可能性を疑ったりはしなかった。</p>
<hr />
<p>あまりに爽やかすぎるエピソードです。古代中国では、こういった友情の美談は、ままありますね。</p>
<p>本来なら将軍としての職務遂行を考えれば、迂闊な行動は避けるべきでしょうが、彼らにはどうでも良かったみたいですね。偉大な友情の前では、戦争なんてつまらない世間の雑事として、敢えてやってる感じさえします。<br />
しかしこれ、もろにBLの素材ですよねw</p>

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		<title>皇帝用の音楽を奏でてはいけない</title>
		<link>http://www.sanguozhi.biz/2009/01/music_of_emperior/</link>
		<comments>http://www.sanguozhi.biz/2009/01/music_of_emperior/#comments</comments>
		<pubDate>Mon, 26 Jan 2009 15:36:44 +0000</pubDate>
		<dc:creator>玄鵬</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[エピソード]]></category>

		<category><![CDATA[劉表]]></category>

		<category><![CDATA[孟曜]]></category>

		<category><![CDATA[杜夔]]></category>

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		<description><![CDATA[「好きに生きろ」が信条なので、身分相応を善しとする固定的な考えは好きではありません。しかし、処世術としては己の分際を弁えることは必要かと思われます。
要は、覚悟がないんだったら、指弾されるような頭の悪い真似はよせ、というお話ですね。


杜夔という人物がいる。音楽に精通していることで知られる。
後漢末の戦乱を避けて荊州に寄寓しているところを劉表に依頼され、孟曜とともに宮廷用の合奏団を編成することになった。
さて、編成された合奏団の演奏を聴いてみたくなった劉表は、自身の役所の前庭で演奏させようとした。
そこに杜夔が諫めに入った。
「この合奏団は天子のために準備させたものではありませんか。それをあなたの前庭で演奏させてよいものでしょうか」と。
それを聞いた劉表は演奏を取りやめにした。

三国志ではあんまり見られない音楽についての話題でした。
分不相応なことはするなと言う話はゴロゴロありますし、劉表も素直に諫めに従っていますし、何のオチもないエピソードですね、はい。
分不相応なことをしでかして、後悔するような頭の弱い人は嫌いです。
しかし、分際などというものを絶対視して奉戴している人はもっと嫌いです。
分不相応と知っていながら、そんな社会的な制約など無視して己の欲するままに行動している人は好きです。

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			<content:encoded><![CDATA[<p>「好きに生きろ」が信条なので、身分相応を善しとする固定的な考えは好きではありません。しかし、処世術としては己の分際を弁えることは必要かと思われます。<br />
要は、覚悟がないんだったら、指弾されるような頭の悪い真似はよせ、というお話ですね。</p>
<p><span id="more-225"></span></p>
<hr />
<p>杜夔という人物がいる。音楽に精通していることで知られる。<br />
後漢末の戦乱を避けて荊州に寄寓しているところを劉表に依頼され、孟曜とともに宮廷用の合奏団を編成することになった。</p>
<p>さて、編成された合奏団の演奏を聴いてみたくなった劉表は、自身の役所の前庭で演奏させようとした。<br />
そこに杜夔が諫めに入った。<br />
「この合奏団は天子のために準備させたものではありませんか。それをあなたの前庭で演奏させてよいものでしょうか」と。<br />
それを聞いた劉表は演奏を取りやめにした。</p>
<hr />
<p>三国志ではあんまり見られない音楽についての話題でした。<br />
分不相応なことはするなと言う話はゴロゴロありますし、劉表も素直に諫めに従っていますし、何のオチもないエピソードですね、はい。</p>
<p>分不相応なことをしでかして、後悔するような頭の弱い人は嫌いです。<br />
しかし、分際などというものを絶対視して奉戴している人はもっと嫌いです。<br />
分不相応と知っていながら、そんな社会的な制約など無視して己の欲するままに行動している人は好きです。</p>

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		<title>責任逃れは罪の上塗り</title>
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		<comments>http://www.sanguozhi.biz/2009/01/doubleescape/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 21 Jan 2009 18:24:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator>玄鵬</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[エピソード]]></category>

		<category><![CDATA[李厳]]></category>

		<category><![CDATA[諸葛亮]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://genhou.s32.coreserver.jp/www.sanguozhi.biz/?p=205</guid>
		<description><![CDATA[更新が滞っているのに性懲りもなくまたもや移転しました。
今回はWordPressです。これでもう移転することはなくなるでしょう。
移転ついでに記事を一つ書きます。でないと、また間を空けることになりそうですから。


諸葛亮の第四次北伐。物資補給を監督したのは李厳（李平）である。
長雨により食糧輸送が滞ったため、李厳は諸葛亮に撤退を要請した。
連絡を受けて軍を退いた諸葛亮に対し、
李厳は「兵糧は足りているはずなのに、なぜ撤退したのか」と彼を責め、
食料を補給できなかった自身の責任を、諸葛亮の責任に着せようとした。
さらに、宮中には諸葛亮の撤退を作戦の一部として上表し、事態の隠蔽まで図った。
だが、諸葛亮が李厳の書簡を証拠として提出したことにより、
李厳の矛盾は明白となってしまった。
とうとう虚言を白状して謝罪した李厳であったが、
信賞必罰を旨とする諸葛亮のこと、庶民へと降格する憂き目をみた。

失敗を取り繕うと、事態はさらに悪化します。
そんなことは百も承知ですが、言いにくいことはつい隠そうとしてしまうもの。
私は、隠してしまう己の小心さに悲しくなります。失敗をすぐに報告できる誠実さというよりも、どやされようと馬鹿にされようと、平然としていられる図太さを欲しますね。

というわけで、更新しなかった言い訳なんぞしません。
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<p>移転ついでに記事を一つ書きます。でないと、また間を空けることになりそうですから。<br />
<span id="more-205"></span></p>
<hr />
<p>諸葛亮の第四次北伐。物資補給を監督したのは李厳（李平）である。<br />
長雨により食糧輸送が滞ったため、李厳は諸葛亮に撤退を要請した。</p>
<p>連絡を受けて軍を退いた諸葛亮に対し、<br />
李厳は「兵糧は足りているはずなのに、なぜ撤退したのか」と彼を責め、<br />
食料を補給できなかった自身の責任を、諸葛亮の責任に着せようとした。<br />
さらに、宮中には諸葛亮の撤退を作戦の一部として上表し、事態の隠蔽まで図った。</p>
<p>だが、諸葛亮が李厳の書簡を証拠として提出したことにより、<br />
李厳の矛盾は明白となってしまった。<br />
とうとう虚言を白状して謝罪した李厳であったが、<br />
信賞必罰を旨とする諸葛亮のこと、庶民へと降格する憂き目をみた。</p>
<hr />
<p>失敗を取り繕うと、事態はさらに悪化します。<br />
そんなことは百も承知ですが、言いにくいことはつい隠そうとしてしまうもの。<br />
私は、隠してしまう己の小心さに悲しくなります。失敗をすぐに報告できる誠実さというよりも、どやされようと馬鹿にされようと、平然としていられる図太さを欲しますね。</p>
<p><a href="http://blog.with2.net/link.php?367572"><img class="alignnone size-full wp-image-213" title="人気ブログランキング" src="http://www.sanguozhi.biz/wp-content/uploads/banner_ranking.gif" alt="人気ブログランキング" width="88" height="31" /></a></p>
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		<title>鶏肋</title>
		<link>http://www.sanguozhi.biz/2007/08/keiroku/</link>
		<comments>http://www.sanguozhi.biz/2007/08/keiroku/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 29 Aug 2007 07:50:30 +0000</pubDate>
		<dc:creator>玄鵬</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[故事成語]]></category>

		<category><![CDATA[夏侯惇]]></category>

		<category><![CDATA[曹操]]></category>

		<category><![CDATA[楊脩]]></category>

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		<description><![CDATA[秀でた才智を持っていると形容される人物でも、
荀彧や郭嘉のように、政治や軍略など実地に活躍する人物がいるかと思えば、
先日紹介した孔融や禰衡のように実務面で活躍する才でない場合もあります。
今回は、一般的に謎解きやとんちでしか出番がない楊脩のお出ましです。

漢中を制圧した劉備は要害を恃みに戦い、曹操は攻めあぐねていた。
陣中で軍の進退に思いをめぐらせていたある日、料理に鶏の吸い物が出た。
その鶏のあばら骨を眺めながら考え込む曹操。
そこへ参上した夏侯惇が当夜の指示を請うたところ、
曹操の口から出たのは「鶏肋」というただ一言。
さっぱり意味の解せない夏侯惇だったが、命令は命令。陣中に「鶏肋、鶏肋」と触れて廻る。
もちろん他の将兵もどうしていいのか戸惑うばかり。
だが、楊脩は共の兵士たちに撤退の準備をするよう命令した。
それを知った夏侯惇にその理由を問われて、楊脩はこう答えた。
「鶏の肋は、味がするので棄てるには惜しいけれども、食べる部分はありません。
殿は漢中を鶏肋に譬えておられるのですから、
退くのは惜しいが、これ以上戦っても益なしと判断されたのでしょう。
ですから、こうして退却できるよう準備をしているのです。」
まもなく曹操は軍を引き揚げて長安に帰還したのである。
曹操が「鶏肋」という命令を発し、楊脩がその謎を解いて意味するところを理解した、
という話は裴松之が注で引いた『九州春秋』に見られます。
今回は、この話を少し膨らませた演義をベースに書きました。
演義では、この後楊脩は軍の士気を乱したかどで処刑されてしまいます。
さらに、楊脩が非常に機転の利く人物であることを物語るエピソードを挿入して、
一連の出来事で頭脳明晰な楊脩に嫉妬する狭量な曹操を印象付けた上で、
「鶏肋」での振る舞いを口実にして処刑という手段に出たことに結びつけています。
史書においても、楊脩はこれと同時期に処刑されたことになっています。
その原因はやはり彼の秀でた才智にあると考えれますが、
なにも曹操の個人的な感情によるものではなく、
曹丕と後継者争いを起こす虞のある曹植の後見人として有力であったためと考えられます。
このとき既に、曹操は正式に曹丕を太子に決定しており、
曹植の勢力伸長を抑える必要があったのです。
また、楊脩が袁氏の甥であるため、
曹植に有力なバックアップがつくことも懸念されたようです。
袁紹や劉表のお家騒動を目にしている曹操だけに、
自身が没した後の準備に余念が無かったとみえます。
そのために消された楊脩が、
後継者争いで滅びた袁氏の血縁者だったというのは皮肉ですね。

鶏肉ではありませんが、私は骨付きカルビを骨までしゃぶる派です。

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]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>秀でた才智を持っていると形容される人物でも、<br />
荀彧や郭嘉のように、政治や軍略など実地に活躍する人物がいるかと思えば、<br />
先日紹介した孔融や禰衡のように実務面で活躍する才でない場合もあります。</p>
<p>今回は、一般的に謎解きやとんちでしか出番がない楊脩のお出ましです。</p>
<p><span id="more-116"></span></p>
<hr size="1" />漢中を制圧した劉備は要害を恃みに戦い、曹操は攻めあぐねていた。</p>
<p>陣中で軍の進退に思いをめぐらせていたある日、料理に鶏の吸い物が出た。<br />
その鶏のあばら骨を眺めながら考え込む曹操。<br />
そこへ参上した夏侯惇が当夜の指示を請うたところ、<br />
曹操の口から出たのは「鶏肋」というただ一言。</p>
<p>さっぱり意味の解せない夏侯惇だったが、命令は命令。陣中に「鶏肋、鶏肋」と触れて廻る。<br />
もちろん他の将兵もどうしていいのか戸惑うばかり。<br />
だが、楊脩は共の兵士たちに撤退の準備をするよう命令した。</p>
<p>それを知った夏侯惇にその理由を問われて、楊脩はこう答えた。<br />
「鶏の肋は、味がするので棄てるには惜しいけれども、食べる部分はありません。<br />
殿は漢中を鶏肋に譬えておられるのですから、<br />
退くのは惜しいが、これ以上戦っても益なしと判断されたのでしょう。<br />
ですから、こうして退却できるよう準備をしているのです。」</p>
<p>まもなく曹操は軍を引き揚げて長安に帰還したのである。</p>
<hr size="1" />曹操が「鶏肋」という命令を発し、楊脩がその謎を解いて意味するところを理解した、<br />
という話は裴松之が注で引いた『九州春秋』に見られます。<br />
今回は、この話を少し膨らませた演義をベースに書きました。</p>
<p>演義では、この後楊脩は軍の士気を乱したかどで処刑されてしまいます。<br />
さらに、楊脩が非常に機転の利く人物であることを物語るエピソードを挿入して、<br />
一連の出来事で頭脳明晰な楊脩に嫉妬する狭量な曹操を印象付けた上で、<br />
「鶏肋」での振る舞いを口実にして処刑という手段に出たことに結びつけています。</p>
<p>史書においても、楊脩はこれと同時期に処刑されたことになっています。<br />
その原因はやはり彼の秀でた才智にあると考えれますが、<br />
なにも曹操の個人的な感情によるものではなく、<br />
曹丕と後継者争いを起こす虞のある曹植の後見人として有力であったためと考えられます。<br />
このとき既に、曹操は正式に曹丕を太子に決定しており、<br />
曹植の勢力伸長を抑える必要があったのです。</p>
<p>また、楊脩が袁氏の甥であるため、<br />
曹植に有力なバックアップがつくことも懸念されたようです。<br />
袁紹や劉表のお家騒動を目にしている曹操だけに、<br />
自身が没した後の準備に余念が無かったとみえます。<br />
そのために消された楊脩が、<br />
後継者争いで滅びた袁氏の血縁者だったというのは皮肉ですね。</p>
<p><a href="http://blog.with2.net/link.php?367572"><img src="http://blog-imgs-24.fc2.com/g/e/n/genhou394/banner_01.gif" border="0" alt="ランキングバナー" /></a><br />
鶏肉ではありませんが、私は骨付きカルビを骨までしゃぶる派です。</p>

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		</item>
		<item>
		<title>最後まで責任を持て</title>
		<link>http://www.sanguozhi.biz/2007/08/responsibility/</link>
		<comments>http://www.sanguozhi.biz/2007/08/responsibility/#comments</comments>
		<pubDate>Wed, 22 Aug 2007 14:55:37 +0000</pubDate>
		<dc:creator>玄鵬</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[エピソード]]></category>

		<category><![CDATA[華歆]]></category>

		<category><![CDATA[鄭泰]]></category>

		<guid isPermaLink="false">http://genhou.s32.coreserver.jp/www.sanguozhi.biz/?p=115</guid>
		<description><![CDATA[今さら参院選の話になるのですが、
選挙ポスターのキャッチコピーって往々にしてセンスないと思いませんか。
だから又吉イエスなんかのポスターがインパクト最強になっちゃうんですよね。
そんな中でも最も違和感を抱いたのが、
「未来に責任も持つ政治」
っていうコピーです。
是非、そう願いたいですね。
是非、過去の政策にも責任を持ってくださいね。

董卓が都を制圧していた頃、
華歆は乱を避けるために長安から脱出して、鄭泰ら数人の仲間とともに間道伝いに武関を出た。
道すがら独りで旅をする男に出会った。
治安が悪化している中での単独行動は危険な状況である。
男は華歆らの一行に同道したいと願い出た。
男を哀れに思った鄭泰らは連れて行こうとしたが、華歆はこう反対した。
「この旅は危険な旅なので、一度事が起これば運命を共にする友誼が必要だ。
もとより志を同じくする我々ならいざしらず、
初めて知り合った他人を仲間に入れても容易に友誼は望めまい。
かといって、一旦受け入れてしまえば、途中で見棄てることなどできない。」
華歆の反対にもかかわらず、断るのに忍びなく彼らは結局連れて行くことにした。
ところが道中、この男は井戸に落ちてしまったのだ。
鄭泰らは足手まといになってしまった男を放置して先を急ごうとした。
ここで再び華歆が反対する、
「あの男は、もう我々の連れになのだ。
途中で見棄てるのは道義に反する。」
そこで彼らは引き返して男を井戸から引き上げてやり、
その後で別れを告げた。
卑近な例を挙げれば、一度飼ったペットは最後まで責任を持って面倒をみるべし、
なんてことがあるかもしれません。
「責任は最後まで持て」と題しましたが、
私はむしろ「安易な情けをかけるな」ということを強調したいですね。
目の前の事物に対して「かわいそう」と思うのは簡単ですが、
手を差し伸べておいて途中で引っ込めてしまうようでは、
何もしないより相手を不幸にしてしまいます。
それは他人への思いやりのようでいて、実は何の思いやりにもなりません。
哀れみを掛けてあげる自分に酔っているだけとも言えます。
本当に相手のことまで慮るならば、
道義的に必要な限り助けてあげられるかを冷静に考える必要があります。
どこまでが道義的に必要かは別に議論する余地がありますね。

あ、冒頭の選挙ポスターの話はあんまり関係ないです。

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]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>今さら参院選の話になるのですが、<br />
選挙ポスターのキャッチコピーって往々にしてセンスないと思いませんか。<br />
だから<a href="http://tokyo.cool.ne.jp/torichan/matayoshi/poster07.jpg" target="_blank">又吉イエス</a>なんかのポスターがインパクト最強になっちゃうんですよね。</p>
<p>そんな中でも最も違和感を抱いたのが、<br />
「未来に責任も持つ政治」<br />
っていうコピーです。<br />
是非、そう願いたいですね。<br />
是非、過去の政策にも責任を持ってくださいね。</p>
<p><span id="more-115"></span></p>
<hr size="1" />董卓が都を制圧していた頃、<br />
華歆は乱を避けるために長安から脱出して、鄭泰ら数人の仲間とともに間道伝いに武関を出た。</p>
<p>道すがら独りで旅をする男に出会った。<br />
治安が悪化している中での単独行動は危険な状況である。<br />
男は華歆らの一行に同道したいと願い出た。</p>
<p>男を哀れに思った鄭泰らは連れて行こうとしたが、華歆はこう反対した。<br />
「この旅は危険な旅なので、一度事が起これば運命を共にする友誼が必要だ。<br />
もとより志を同じくする我々ならいざしらず、<br />
初めて知り合った他人を仲間に入れても容易に友誼は望めまい。<br />
かといって、一旦受け入れてしまえば、途中で見棄てることなどできない。」</p>
<p>華歆の反対にもかかわらず、断るのに忍びなく彼らは結局連れて行くことにした。<br />
ところが道中、この男は井戸に落ちてしまったのだ。<br />
鄭泰らは足手まといになってしまった男を放置して先を急ごうとした。<br />
ここで再び華歆が反対する、<br />
「あの男は、もう我々の連れになのだ。<br />
途中で見棄てるのは道義に反する。」</p>
<p>そこで彼らは引き返して男を井戸から引き上げてやり、<br />
その後で別れを告げた。</p>
<hr size="1" />卑近な例を挙げれば、一度飼ったペットは最後まで責任を持って面倒をみるべし、<br />
なんてことがあるかもしれません。</p>
<p>「責任は最後まで持て」と題しましたが、<br />
私はむしろ「安易な情けをかけるな」ということを強調したいですね。</p>
<p>目の前の事物に対して「かわいそう」と思うのは簡単ですが、<br />
手を差し伸べておいて途中で引っ込めてしまうようでは、<br />
何もしないより相手を不幸にしてしまいます。<br />
それは他人への思いやりのようでいて、実は何の思いやりにもなりません。<br />
哀れみを掛けてあげる自分に酔っているだけとも言えます。</p>
<p>本当に相手のことまで慮るならば、<br />
道義的に必要な限り助けてあげられるかを冷静に考える必要があります。<br />
どこまでが道義的に必要かは別に議論する余地がありますね。</p>
<p><a href="http://blog.with2.net/link.php?367572"><img src="http://blog-imgs-24.fc2.com/g/e/n/genhou394/banner_01.gif" border="0" alt="ランキングバナー" /></a><br />
あ、冒頭の選挙ポスターの話はあんまり関係ないです。</p>

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		<title>市民に危害を加えず</title>
		<link>http://www.sanguozhi.biz/2007/08/protect_citizen/</link>
		<comments>http://www.sanguozhi.biz/2007/08/protect_citizen/#comments</comments>
		<pubDate>Fri, 17 Aug 2007 12:10:29 +0000</pubDate>
		<dc:creator>玄鵬</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[エピソード]]></category>

		<category><![CDATA[孫皎]]></category>

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		<description><![CDATA[
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>死者の魂を呼び戻すお盆という習慣を持った日本において、<br />
ちょうどその時季に多大な犠牲者を出した先の大戦の終結が重なるということに、<br />
浅からぬ因縁を感じずにはいられません。</p>
<p>毎年8月はテレビでは戦争関係の特集番組が放送されますが、<br />
戦後60年を経過していよいよ戦争経験者が少なくなり、<br />
また2001年以降テロの恐怖がしきりに喧伝されたこともあり、<br />
近年は特に人々の関心が高まっているのを感じます。</p>
<p>戦争とテロの決定的な違いは、以下の点に尽きるでしょう。</p>
<p><span id="more-114"></span></p>
<hr size="1">
孫静の子の孫皎の話である。孫皎は孫権の従弟にあたる。<br />
程普の後任として夏口の軍隊を指揮し、曹魏との攻防を繰り返した。</p>
<p>ある時、偵察に出した兵士が魏の辺境地帯を守備する部将や官吏の美女を攫って来た。<br />
孫皎は彼女らの衣服を新しいものに取り替えて送り返してやった。</p>
<p>それと同時に以下のような命令を出した。<br />
「我々が討伐しようとしているのは、曹氏なのであって、民衆には何の罪もない。<br />
以後、老人や子どもに危害を加えてはならない」</p>
<p>これにより、長江から淮水にかけての地域では、<br />
多くの民衆が彼の元に身を寄せてきた。</p>
<hr size="1">
殺し合いとはいえど、戦争には最低限のルールがあります。</p>
<p>孫皎はこの布告を出すことによって、民衆の支持を得ると同時に、<br />
敵将・敵兵の敵愾心を殺ぐ意図もあったかもしれません。</p>
<p>現代でも「民間人に手は出さない」という原則が、<br />
世論へのアピールポイントであり、その正当性を主張する前提になりますね。<br />
しかし、人単位で攻撃対象を選べない兵器戦となってしまった現代では<br />
何が国家の戦争で何がテロなのか曖昧に思われます。</p>
<p>感覚的には国家がやっていれば戦争で、<br />
国際的に認められない戦闘・破壊行為がテロという区分がなされているように思います。</p>
<p><A HREF="http://blog.with2.net/link.php?367572"><img src="http://blog-imgs-24.fc2.com/g/e/n/genhou394/banner_01.gif" alt="ランキングバナー" border="0"></A></p>

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		</item>
		<item>
		<title>結婚相手の選び方</title>
		<link>http://www.sanguozhi.biz/2007/08/select_of_marry/</link>
		<comments>http://www.sanguozhi.biz/2007/08/select_of_marry/#comments</comments>
		<pubDate>Sat, 11 Aug 2007 12:06:24 +0000</pubDate>
		<dc:creator>玄鵬</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[エピソード]]></category>

		<category><![CDATA[諸葛亮]]></category>

		<category><![CDATA[黄承彦]]></category>

		<category><![CDATA[黄氏(諸葛亮)]]></category>

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		<description><![CDATA[
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>アクセス解析を眺めていると、<br />
このブログは検索エンジンから閲覧してくれる人が多いことに気づきました。<br />
故事成語などを調べようとしてたどり着くケースが多いようです。</p>
<p>一方で意外にアクセスが多いのが、「結婚相手に求める条件」というキーワードです。<br />
女は容姿だと主張して憚らなかった荀粲の話がヒットしているのは間違いありません。<br />
需要がありそうなキーワードなのは分かりますが、<br />
なんでまた三国志のブログにたどり着くんだろうと思い調べてみたところ、<br />
Yahoo!の検索で1位に来ているではありませんか。</p>
<p>不思議ですね。面倒だと思ったことは強いてやらないことにしたので、<br />
特にSEO対策を施したわけでもありません。<br />
それでも気をよくしたので、似たようなエピソードを書くことにします（笑）</p>
<p><span id="more-113"></span></p>
<hr size="1">
諸葛亮の妻は、沔南の名士である黄承彦の娘である。<br />
黄承彦は「私には赤毛で色黒の娘がいる。容姿は醜いが、才智は君に相応しい」<br />
と言って、諸葛亮に娘を勧めたのである。<br />
諸葛亮が承知するとすぐさま娘を送り届けた。</p>
<p>この話は人々の笑いのたねとなり、郷里では諺まで作られた。<br />
「孔明の嫁とり真似るでないぞ、承彦の醜女を娶らされる」</p>
<p>なお、三国志演義では彼女の才智はたいへんなもので、<br />
天文地理に精通し、兵法にも明るかったという。<br />
諸葛亮は学問の面に関して、妻に学ぶことが多かったとされる。</p>
<hr size="1">
彼女の名前は史実では伝わっていませんが、（演義にも見えません）<br />
俗に「黄月英」や「黄婉貞」という名で知られています。<br />
孫権の妹で劉備の妻である孫夫人と同様に、その名前は後世の創作によるものですが、<br />
ゲームなどの影響で現在ではかなり一般的なものになっています。</p>
<p>諸葛亮の嫁選びは荀粲とは対照的です。<br />
実質を重視したというのが諸葛亮らしい気もしますが、<br />
稀代の宰相にして忠臣である諸葛亮は<br />
人生の伴侶選びに容姿を問題にせず、才智を尊んだ、<br />
と言うのはいかにもな美談だとも思えます。</p>
<p>醜女というのは実はフェイクで、本当は美人なのに、<br />
外見で女性を選ばない男性を見極めるために<br />
わざとそんな噂を流しておいたのだという話もあります。<br />
いずれにしろ賢い女性というイメージが定着していますね。</p>
<p>なお、荀粲については→<a href="http://genhou394.blog79.fc2.com/blog-entry-45.html" target="_blank">結婚相手に求める条件<br />
</a></p>
<p><A HREF="http://blog.with2.net/link.php?367572"><img src="http://blog-imgs-24.fc2.com/g/e/n/genhou394/banner_01.gif" alt="ランキングバナー" border="0"></A><br />
互いに研鑽し合える女性を選んだと捉えるのであれば、<br />
現代人にもとてもウケる結婚相手の選び方だと言えます。</p>

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		<pubDate>Fri, 10 Aug 2007 06:38:22 +0000</pubDate>
		<dc:creator>玄鵬</dc:creator>
		
		<category><![CDATA[エピソード]]></category>

		<category><![CDATA[孔融]]></category>

		<category><![CDATA[李膺]]></category>

		<category><![CDATA[陳煒]]></category>

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		<description><![CDATA[
]]></description>
			<content:encoded><![CDATA[<p>平成生まれがどうだ、ということが話題に上がる昨今です。<br />
もう平成生まれの大学生もいるのでしょうか。</p>
<p>毎年年齢は更新されていくことは変わらず、<br />
たまたま年号の転換があっただけの話。<br />
別に騒ぐことではないと思うのですが・・・</p>
<p>世間は年少者が活躍することへの嫉妬や僻みに満ちているようにみえます。<br />
そこでこんな話を。</p>
<p><span id="more-112"></span></p>
<hr size="1">
幼くして才気煥発していた孔融が十歳余りの頃のこと。<br />
当時、高い名声を誇っていた李膺は、<br />
当代の優れた人物か、先祖の代から親交のある家（通家）の子孫でなければ面会しないことにしていた。<br />
孔融は李膺に会って、その人となりを確かめたいと思い、<br />
自らを李家の通家の子孫であると名乗って李膺と対面した。</p>
<p>李膺が尋ねる。<br />
「あなたの先祖は私の家とお付き合いがあるのですか」<br />
孔融が答える。<br />
「私の先祖である孔子は、あなたの先祖である老子（李耳）とは、<br />
ともに高い徳を備えた人物で、弟子であり、友人でありました。<br />
私のあなたは何代にもわたる通家でございます。」</p>
<p>その立派な受け答えに一同は感心し褒め称えた。<br />
後からその座に入ってきた陳煒は、そのことを聞くと、<br />
「幼い頃に賢い者が、大人になっても優れているとは限らないぞ」<br />
と皮肉を言った。<br />
すると、すかさず孔融は切返した。<br />
「もうしそうならば、あなたは幼い頃はさぞや賢かったのでしょうね」</p>
<p>李膺は大笑いして孔融に言った。<br />
「あなたは、きっと立派な人物になるでしょう。」</p>
<hr size="1">
孔融は孔子二十代目の子孫と言われています。<br />
以前テレビで見かけましたが、現在でも孔子の子孫を名乗っている人はいるようです。<br />
誰それの子孫である、という系譜は自分に箔をつけることが第一目的であって、<br />
実際にそうであるかはほとんど重要ではありません。<br />
劉備しかり、孫堅しかり・・・</p>
<p>この孔融の説も、実際に李膺と通家であることを説得力を持って解説したことではなく、<br />
巧みに故事を引っ張り出して披露してみせたことが評価されたものですね。</p>
<p>それにしても機転の利きすぎる子どもというは嫌なものです。<br />
陳煒が皮肉の一つも言いたくなるのも分かる気がします。<br />
しかし、それはオールドな反応。<br />
それが、それこそが、陳煒が孔融に負けている点なのだと思います。</p>
<p>たとえ自分よりずっと若い者が、自分よりずっと高いレベルにあることが感じられても、<br />
それをそれと悠然と認められるような態度でありたいですね。<br />
年齢の優位性は経験の豊富さにありますが、<br />
その経験で培われるものは、<br />
決定的には知識や技術なのではなく、心のあり方だと思うからです。</p>
<p><A HREF="http://blog.with2.net/link.php?367572"><img src="http://blog-imgs-24.fc2.com/g/e/n/genhou394/banner_01.gif" alt="ランキングバナー" border="0"></A><br />
後生おそるべし。</p>

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		</item>
	</channel>
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