生きるか死ぬか、存続するか滅亡するの分岐点、それが危急存亡の秋(とき)です。
「危急存亡の時」ではなく、秋なのはなぜか。
この言葉を使った諸葛亮の心情も感じ取りながら、このエピソードを見てみましょう。
章武五年(227年)、諸葛亮は魏への大規模な軍事行動、すなわち北伐を開始した。
これに先立って、諸葛亮は蜀漢の皇帝である劉禅に上表し、その決意と自身の留守中の注意を述べた。
師(いくさ)を出すにあたり出した表、出師之表である。
先帝創業未半而中道崩殂
今天下三分益州疲弊
此誠危急存亡之秋也
これは、出師之表の冒頭部分の引用。
諸葛亮は、先帝の遺業を継ぎ、魏と戦いぬくというう悲壮なまでの決意を示した。
蜀の地は豊かであるとは言え、劉備の入植時に移ってきた兵卒や戦乱を避けて流入した難民が多く、それらを賄うには厳しい状況であったと考えられる。また、敵国・魏に比べると国力の差は歴然としていた。そのために、蜀漢が生き残るために、積極的に打って出て事態を打開させようという算段であったのだろう。
春から夏にかけて、農民は穀物を実らせ、兵卒は訓練を重ねてきたのであろう。そして、季節は移り、収穫を終えて、軍備も万端整ってきた。
いざ存亡を賭けた戦いへ赴くとき、それこそまさに秋なのである。
結果として北伐が成就することはなかったが、諸葛亮はこのときの上表で示したとおり、死ぬまで戦い通した。
出師之表は後世、名文として名高く、人々の涙を誘うものと言われています。
その冒頭を飾った「秋」という字が、
諸葛亮の悲壮な思いを、そして蜀漢の末路を暗示する物悲しさを醸し出していますね。





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