「好きに生きろ」が信条なので、身分相応を善しとする固定的な考えは好きではありません。しかし、処世術としては己の分際を弁えることは必要かと思われます。
要は、覚悟がないんだったら、指弾されるような頭の悪い真似はよせ、というお話ですね。
杜夔という人物がいる。音楽に精通していることで知られる。
後漢末の戦乱を避けて荊州に寄寓しているところを劉表に依頼され、孟曜とともに宮廷用の合奏団を編成することになった。
さて、編成された合奏団の演奏を聴いてみたくなった劉表は、自身の役所の前庭で演奏させようとした。
そこに杜夔が諫めに入った。
「この合奏団は天子のために準備させたものではありませんか。それをあなたの前庭で演奏させてよいものでしょうか」と。
それを聞いた劉表は演奏を取りやめにした。
三国志ではあんまり見られない音楽についての話題でした。
分不相応なことはするなと言う話はゴロゴロありますし、劉表も素直に諫めに従っていますし、何のオチもないエピソードですね、はい。
分不相応なことをしでかして、後悔するような頭の弱い人は嫌いです。
しかし、分際などというものを絶対視して奉戴している人はもっと嫌いです。
分不相応と知っていながら、そんな社会的な制約など無視して己の欲するままに行動している人は好きです。





0 件のコメント
お気軽にコメントしてください
Stay in touch with the conversation, subscribe to the RSS feed for comments on this post.